一期一会の心が息づく町“彦根”と共に生きて200余年

井伊直弼公ゆかりの和菓子匠

いと重の歴史

いと重菓舗は創業文化六年(1809年)

当店の代表銘菓は「埋れ木」で、井伊直弼公が青年時代を過ごした「埋れ木の舎」からその名をいただいております。

文化六年
(1809年)
1800年以前に湖北地方から彦根へ移り白壁町(現在の彦根市本町一丁目)で元は「糸屋重兵衛」として糸問屋を営み、副業として煎餅などを作っておりましたが、初代糸屋重兵衛の妻・ますが夢のお告げで白髪の老翁から菓子の製法を教わり、文化六年(1809年)本格的に菓子業に転じたと記録されています。
文化十二年
(1815年)
井伊直弼公、十一代彦根藩主井伊直中の第十四男として誕生。
天保二年 ~
(1831年)

直弼公「埋れ木の舎(うもれぎのや)」時代
直弼、父と死別し藩の公館「北屋敷」へ移され質素な書生生活を強いられる。自らの埋もれた境遇から「北屋敷」を「埋れ木の舎(うもれぎのや)」と名づける。直弼、埋れ木舎にて学問、武術をはじめ、茶道、能などを覚える。

糸屋重兵衛の作った菓子「益寿糖」を茶道にも通じた直弼公が、 国学者で後に直弼の懐刀となる長野主膳(ながのしゅぜん)に与えたとの記録が残っております。長野主膳の御礼の歌と思われるものとして
「諸共にいさよき長き寿の ますます(益々)いとの心とも見よ」
益寿糖の菓子の名前から「益」と「寿」が、糸屋重兵衛の名から「いと」の字を引用したと思われる。

また、井伊直弼公が自ら彫った柳の文様の木型を糸屋重兵衛が貸し与え、砂糖菓子を作らせておりました。(銘菓「柳のしずく」)

嘉永三年
(1850年)
直弼、三十六歳で第十三代彦根藩主となり「掃部頭(かも んのかみ)」を称する。糸屋重兵衛の製造した「益寿糖」が参勤交代などで鳥居本宿で休む大名行列への贈答品として使用されます。
嘉永六年
(1853年)
浦賀にペリー来航。直弼、幕府に対し開国を主張する書簡を提出。
安政五年
(1858年)
直弼、大老となる。安政の大獄。
安政七年
(1860年)
桜田門外の変。直弼、四十六歳にて死去。
明治元年
(1868年)
明治維新
彦根城下は明治維新後の廃藩置県の影響で人口が急激に減少。社会不安の中、藩内の善行者への褒賞がなされ、三代目糸屋重兵衛が、井伊直憲公より羽織を賜る。親孝行をお褒め頂いたとのことです。
第2次世界大戦
砂糖が不足し一時休業を余儀なくされる。
 
菓子業を再開
昭和38年
(1963年)
NHKの大河ドラマ第1作目として井伊直弼公を主人公とした「花の生涯」が放映。
昭和63年
(1988年)
いと重菓舗「駅前通り店」の開店。
平成8年
(1996年)
いと重菓舗「ビバシティ彦根店」の開店。
平成20年
(2008年)
「ギャラリー糸屋重兵衛」の開店。
平成24年
(2012年)
いと重菓舗「駅前通り店」にて「ITOJYU CAFÉ」を併設し、リニューアルオープン。

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